百鬼夜行…それは真夜中…そう…草木も眠る丑三つ時に…数多の魑魅魍魎・悪鬼羅刹・妖怪などが群れをなし…道という道を闊歩し…練り歩き…これを見た人間は呪われ…祟られ…そして最終的には死んでしまうという…それはそれは恐ろしき怪異…超常現象でございました…。
うぁぁぁ! 百鬼夜行が道路を練り歩いてる!
その様子を克明に書き記したもの、それが百鬼夜行絵巻と呼ばれるものです。
本日はげに恐ろしき百鬼夜行絵巻、その解説をさせていただきたいと思います。
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百鬼夜行絵巻の成立は室町時代にまで遡ると言われています。
そして江戸時代に入ると爆発的な妖怪ブームが始まり、それまでは恐怖の対象だった妖怪たちは、おどろおどろしさよりもユーモア感の方が増し増しとなり、「キャラクター」として愛される存在へと変貌していきました。
200年余りの平和な時代に、人々は娯楽に飢えていたのでしょうか。
鳥山石燕をはじめとする浮世イラストレーターたちはこぞって妖怪を描きまくり、人々は恐竜図鑑や昆虫図鑑に熱中する子供のように、妖怪を貪りまくりました。
さて件の百鬼夜行絵巻ですが、様々な時期に様々な人物が描いています。一つのフォーマット形式として成り立っていたのかもしれませんね。
百鬼夜行絵巻の一つの特徴として、詞書(ことばがき)が付いていないというのが挙げられます(例外もあります)。
詞書(ことばがき)とは、いわゆる説明文のことですね。
この妖怪たちは一体何者なのか、この絵巻はどういう場面・どういう情景を表しているのか、作者は何を考えてこの絵巻を描いたのか、そういうのがサッパリ分からないんですね。
それはつまり見ている人間の解釈にゆだねる、という解釈にもとれるわけです。
皆さんもお近くの美術館やら博物館、もしくはご自宅に百鬼夜行絵巻が保管されているならば、じっくりと鑑賞し、頭の中に妖怪を思い浮かべ、一緒に練り歩き、何かの気付きを得るのもまた一興だと、私は思いました。
さてやはり百鬼夜行絵巻の魅力と言えば、何が何だか分からない正体不明の妖怪たちでしょう。
たまーにメジャーどころな妖怪も混じっていることもありますが、基本は謎が謎を呼ぶまさに妖怪という文字そのままの、アヤシサの二乗みたいな連中ばかりです。
そんなイミフな存在たちの中でも個人的にオッ! と思った奴らを、頑張って解説していこうかと思います。
方郁が1780年に作成した『百物語化絵絵巻』に登場する妖怪です。
力が欲しいか…力が欲しいのなら…くれるかどうかは分かりませんが、見ようによっては筋肉の塊にも見える、愛嬌のある肉塊といった感じの妖怪です。
百鬼夜行絵巻には「ブヨブヨとした赤い肉の塊のような妖怪」が高確率で登場します。恐らくソイツのマイナーチェンジverなのでしょう。
このブヨブヨ妖怪に名前が付けられることは滅多にないですが、「ちからここ」の他にも「おっか」「赤へる(未確認)」などの名称が充てられています。
このように書き手によって妖怪の姿形が微妙に異なるのも、百鬼夜行絵巻の魅力の一つだといえるでしょう。
尾田郷澄が天保3年(1832年)に作成した百鬼夜行絵巻に描かれる謎の妖怪です。
この絵巻では妖怪たちは練り歩いておらず個別に描かれており、百鬼夜行的にはレギュレーション違反なのかもしれませんが、まあ題名が百鬼夜行絵巻なんで良しとします。
黒いモヤの中から無数の化け物たちの顔や手が浮かんでいます。不気味ですねぇ。これは此処彼処に妖怪がいますよという意味だとする説が一つ。
あるいは「明日もここにいるよ」という意味、転じて過去・現在・未来・全ての時間軸に存在する、いわばヨグ=ソトース的な存在なのではないかとする説、などがあります。
「ちからここ」に「あすこここ」を添えて名前のバランスもいい感じですね。
これまた様々な絵巻に高頻度で登場する妖怪です。シーツから毛にまみれた手足が生えたような…あるいはシーツに包まっているようにも見受けられます。
不思議と躍動感を感じる姿ですね。
土佐光信が作成した(とされる)現在確認されてい最古(かも知れない)の百鬼夜行絵巻に描かれる姿は、もうまさにウヒャー! 助ケテクレー! ってな感じで、すぐ後ろにいる鬼のような妖怪に御幣でシバかれながら逃げまどっているようにしか見えません(笑)。
いかがだったでしょうか?皆さんも愉快な百鬼夜行と一緒に練り歩きたくなったことでしょう。ですが忘れてはなりません。彼らは妖怪なのです。
人間とは相容れぬ存在…。
彼らの領域に無断で足を踏み入れたが最期…ということにならないよう注意しましょう。
それでは夜道にお気をつけて…お帰りください…。
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